ゆりかの日記

心にうつりゆくよしなし事

「他者への反応」に振り回されずに生きる

メールアプリの右肩に、数字の書いてある赤い丸がついていると、触れずにはいられない、そんな人は多いのではないだろうか。もちろん私もそうだ。

そして私にとって似たような反応を呼び起こすものがもう一つある。それは「お誘い」だ。

食事や旅行に誘われて、行くといってしまったが行きたくない

-- これは、私がよく陥るジレンマの一つだ。いつも、旅行に誘ってもらえてうれしい、是非友人と旅行したい、と思って二つ返事で参加を決めても、あとで実際にかかる旅費やつぶれる時間の逸失コストを考えると、気が滅入り、行きたくなくなってしまう。

私はこれを自分の優柔不断さ故に生じているものだと思っていたが、実はもう一段深掘って、外からの刺激に反応して振り回されて生きていただけだからだと気づいた。

自分がやらなければならないことは何か、そのために何が必要なのか、というところから考えれば、時間をどう使うべきかという方針はおのずと決まる。そこが明確であれば、一度参加すると決めた後に、やっぱりやめておけばよかった、と考えることはないだろう。判断基準が明確で安定していて、そこに合致する誘いだけに応じているはずだからだ。

一方、自分の場合は、誘われた!嬉しい→是非参加しよう→あれ、他にやらなければいけないことあったじゃん時間とお金そこに使っていいんだっけ→やっぱり気が乗らない。。となっている。「ほかにやらなければならないこと」を誘われた段階で思い出せていない、トレードオフ関係を認識できていない、ところに、流されて生きている、私の姿が出てしまっている。

お金と時間を使いたくないのであれば、誘いに乗らなければよいのだが、どうしてそうしないのだろうか。私はどうしたらいいのだろうか。(続く)

父親が発達障害かも

資金節約のために実家に住んでいましたが、家賃を払っても自立した方が価値があったかもしれないです。なぜなら、私の父親が発達障害なのかもとわかったから。

oshiete.goo.ne.jp

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変な父親だなとは思っていた。

小さい頃繋いだ、父の大きな手の暖かさは今でも覚えている。父も私の小さかった頃ばかりを懐古しているが、その時はお互いに良い親・良い娘であれたのだろう。

無邪気に父をすごいと思っていた娘だが、成長の過程で父に違和感を覚えることが増えた。

  • 自営業の職場は整理できずほぼゴミ屋敷。
  • 食に対する異常な執着。
  • 食べこぼしが多い。食べた後の机も綺麗にできない。
  • 時間は守れない。いつもギリギリ。
  • 一点豪華主義。ある点にこだわりだしたらとにかく妥協できない。
  • 物事に対する見方が極めて片面的。卑近な話でいうと、家電量販店とかで店員に乗せられてスペックバランスの悪い高い買い物をする。
  • 論理的であると標榜しながら自分に都合のいい理屈ばかり並べ、相手が正論を言ったとしても受けいれられない。
  • 集合住宅なのに大きな音で音楽を流す(それなのにピアノ殺人事件について娘には口うるさく話す)。
  • 2X年間、同じ話を繰り返す(~10個くらい、多分100回は聞かされている話がある)。
  • 子供のことは基本褒めず、批判する(本人は面白いこと言ってると思っているらしい)。
  • 対人関係がうまく結べない。人の気持ちを傷つけるようなことを平気で言う(面白いと思っているらしい)。そのためか、妻(私の母)側の親族の結婚式には呼ばれなかった。
  • 普通ではない変な格好で外出する。変な色の入ったサングラスをかけて、ウェストポーチをつけて、肩からiPadを下げて、ヘッドホンで音楽を聴きながら移動する(たまにオレンジの蛍光色のウィンドブレーカーとか着る)。その変な色の入ったサングラスをかけたまま人と会食する。
  • ある秘書は精神を病み退職。それ以降秘書を雇わなくなった。

発達障害だと考えると全て筋が通るのだが、昔は職業柄なのか、男だからなのか、父親だからなのか、それともこんなのは普通の範囲内の話なのか、ということがわからなかった。というか職業柄なのだと勝手に思っていた。

だから、嫌いだと考える自分自身の器が小さいのかと思っていた。父親は社会的にはステータスのある職業なので、父と会ったことのない人に家族構成を紹介すると、「立派なお父様だね」「あなたはXXX(肯定的な形容詞)だよね、お父様の教育に感謝した方がいい」などと言われていて、感謝しなければならないものだと思っていた。

なおさらに悪いことに(というか組み合わせが成立する上では自然だったのだと思うが)、母は論理的思考能力が極めて低く(良き妻、良き母ではあると思う)、こんな父親にも対等に太刀打ちすることができなかった。夫婦喧嘩はいつも「論理的な父」「感情的な母」として演出され、我が家では父は一目おくべき存在として母や妹にも認識されていた。

そのため、文系の父親とは異なる興味関心を持ち、やることなすこと父親に批判されていた自分は、23歳までは自分の選択に自信を持てなかった。実際、多くの失敗をしてきたのだが、その度に「だから言ったじゃないか」と言われて、自信を失っていった。実際は、父親の意見に影響されて、本当に望んでいるものを全力で取りに行けなかったことが原因なのに。

そんな父親は友人がいないので、今日も平日の昼から家でオンラインゲームをしている。そういう父を見ていると自分のうまくいかなかった人生を考えさせられて、友達やいとこの家の人並みに整った父親のように、もっと社会性とバランス感覚がある父親だったらよかったのにと思い憂鬱な気持ちになる。

発達障害だとわかると、本人に悪気がなくても脳の作りだったんだな、ということで、ある程度の諦めはできる。ただしそれが「普通」でないことも認識され、恨めしい気持ちも湧いてくる。

ネットでも同じ境遇の人の話をいろいろと調べてしまったが、距離を置く以外の有効な対処法は見つけられなかった。

今まで固定費節約のために実家に住んでいたが、やはり家を出るしかないのだろう。
"You have to play the cards you've dealt. Whatever that means."
環境のせいにしているようでは勝てない。微妙な手でもどうやって勝てるかを考えるのが重要だ。

研究ライフで病まないために

自分は社会人として修士課程に行ってよかったと思う部分もあるのだが、一部の時間を病んですごしてしまった。このようにならないためにも、今後研究ライフへとシフトする予定がある方は是非、「周囲の環境が安定しているか」をチェックしていただければと思う。

なぜなら、研究者生活は、受け身でもやることとフィードバックが降ってくる会社ライフとは異なり、全て自分自身の裁量で決まってしまう世界、つまり自分の意志力の強さのみが重要なドライバーであり、パフォーマンスの説明変数であるような世界なのだ。

そして、もともと意志力の強いタイプの人間でも、周囲の環境が悪ければ、あっという間に転落してしまう

私は付き合っていた相手が自殺未遂だなんだといい、計画を立てる間も無く振り回されてしまったので、修士課程で最高のパフォーマンスをすることができたとは到底言えない。まだ思い出すと怒りがある。

また、副業が禁じられていたこともあり、金銭的にかなり行き詰まってしまった。これは自分の戦略ミスだが、確実に心理的負担になってしまっていた。

これらの懸念から、本業である学業に専念できなかった。振り返って、結局この時間はなんだったんだろう...と思うことがないと言えば嘘になる。
もちろん、英語論文を読みくだしたり、世の中の言説にcritical mindを持って接することができるようになった点は、自分は学部生時代にはできていなかったので、成長した部分だと感じる。また精神面では、弱い自分、バカな自分も受け入れつつ、進みつづけることの重要さを学んだという面もある。そのため完全に無駄な時間ではなく、今後生かしていくことができる学びだろう。しかしながら、あれだけの時間がありながら有効に活用できなかった自分に対する怒り、無力感は大きい。

それでも人生は続くので、私は取り返すべく、走るしかない。

 

 

 

母性に振りすぎ

最近気付いたのだけれど、自分は「いかに良い家庭を築くか」を考えすぎていて、
自分のキャリアのコンテンツがトレードオフになっている。

意図的に考えないようにしないと、前者を考えることは答えがなく問いが尽きないので、後者に時間が割かれることは永遠にない。

私が男だったら、前者のことは考えずひたすらキャリアに邁進するだろうな。
そういう人たちに私はこのままだと劣後してしまう。

自分自身で戦略的にポジションを定め行動規範を確立していくこと。
人の価値観やライフイベントを容易に知ることができる今日において、この2つが鍵になると思っている。

 

異性を見る目を磨くには

数年前に手痛い恋愛をしたことを機に、(日夜を問わず)ひたすら理論と実践の学びに時間を費やした私がたどり着いた結論です。
中高は女子校、大学は実質男子校というバックグラウンドから自分の恋愛関連スキルが低いことを自覚し、実生活でのデートの誘いに飽き足らず、マッチングアプリで2000人を超える男性からいいねをもらい様々な人がいることを学びながら選別し、時間を見つけてはデートをして経験を積んできました。自殺未遂、ストーカーのダメ男にも振り回されました。
また、根がガリ勉(中高の成績評価は10段階中10,GPAは3.9ですw)なので、巷で有名な恋愛指南本やブログなんかは寸暇を惜しんで読み込んできました。笑

そしてようやく自分なりの答えにたどり着いたと思います。

共通の解はない

「答え」と言っといてアレですが、共通の解はないです。
もちろん、恋愛の「恋」の部分を成就させるためのコツは大体の法則性あると思います。ジョングレイとかお水のお姉さんとか百戦錬磨のお兄さんの本に書いてあるような内容です。

でも、自分にとっていい異性を選ぶための共通解って、ないと思います。

人はみな違う個性と価値観がある

付き合う、結婚する、ということは人生の大事な時間を共有すること。
そして人生の選択に大きな影響を与えることもあります。
そうした前提において、自分の人生にとって「いい異性」というのは、それぞれが「どのような人生を生きたいか」という価値観によって、変わってきます。
例えば、ある人にとっては一途な人が良くても、お互いに縛られない生活を送りたいという価値観を持っていれば、一途な人は重い人になってしまいます。
さらに、選ぶ側の感性や愛着スタイル、得意/不得意によって、相性がいい「ぴったりくる男性」は変わってきます。

そのため、自分の価値観と特性を知った上で、相手に求める要素を優先順位づけして理解しておくのが必要と言えるでしょう。

絶対必要だと思うもの、絶対ダメだと思うものをそれぞれ1個ずつ把握しておく

さて、優先順位づけした上で、それを相手が持っているか、見抜くことができるでしょうか?問題はここなのだと思います。
恋愛は脳内麻薬が大量に放出されるプロセスなので「あばたもえくぼ」です。目が覚めればあばたなんですけどねー。
脳内麻薬に溺れながらも見抜けるようにためには、どうしても重要だという項目を絞り込んで、普段の人付き合いからそれを見抜くための練習を積み重ねるのが良いでしょう。

私の解は...

私は、相手の「共感性」と「自立/自律性」が重要だと思っています。
楽しいことばかりではない共同生活において、お互いに幸せになるように努力をするためには、相手の気持ちを察し共感することが必要だと思うからです。それさえあれば、具体的な方向性は自ずと決まるでしょう。
また、共感力が高い人の中には、自他分離が曖昧な人がいるので、自立/自律の程度も合わせて見る必要があると思っています。

 

わかっててもダメ男に惹かれちゃうんですけどね、、
持論としては、「危険に惹かれる」のではなく、それだけ引き寄せる力があるから、ダメ男なんだというだけのことだと思うんですけどね。

 

脱線しましたが今回はこの辺で。

少し早めの一年のまとめ

年末には少し早いですが、早めに1年の総括をして、残りの時間を有効に使いたいと思います。なおもう少しで平成終わるの衝撃的すぎる。

 

 停滞と成長の1年

この1年は、元彼により予定が大幅に狂ったこと、それに伴うWhat-the-hell効果、によりunproductiveな時間を多く過ごしてしまった。このダメージを都合よく正当化することはできないが、学べたことはあると思う。

それは、付き合う人間に対する意識が高まったことと、それを健全なものにしておくためには自分の中身が芯が通ったものでないといけないという学びだ。

付き合う人間に対する意識、とは

友人なり恋人なり、お互いに心を許し交流する過程で、弱みを晒し、晒されることになる。これらはお互いの人生にとって重要な問題であるため、感情の深いところに働きかけ、ちょっとしたはずみで深い影響を与えてしまったり、逆に影響を受けてしまったりもする。

だから、どんな友人とどういう関わり方をしたいか、ということは、一度意識的にデザインした方がいい。そしてそこから受ける影響は、基本的に自己責任だ。(もちろん、外生的で予測不可能なイベントは多くあるし、それが人生というものなのだろうが)

健全な人間関係を築くために必要な自分の条件とは

  1. 何を取り入れて、何を拒絶するか、これを理性的に判断し、遂行しきるには、自分の判断に対する信頼(自信)が必要になる。

    昨日デートした相手に、自殺未遂をほのめかし元彼に振り回されて1年を無駄にした話をしたら、「ドライだと思ってたけど、意外と優しいんですね」と言われた。
    私の、理性的に判断し実行するという部分は、そうしてこなかった人にとっては「ドライだ」という印象を与えるものだろう。もし私が相手に入れ込んでいたら「ドライ」な自分に対して恥ずかしく思い、自分を変えようとしていただろう。しかし、自分は自分の基準を持って判断することが正しいと思っているし、そうすることが結果的に正解だった局面も経験しているから、その部分を変えようと思うどころか、むしろ自分の能力だと思っている。
    あえて言えば、そうした印象を与えないようにより気をつけよう、というところだろうか。

  2. また、そもそも、感情に流されず判断するという誇り/セルフイメージがないと、どうしても流されてしまう。

    恋愛のドキドキは、やはり理性的な判断を超えたところにある。頭ではこの人はチャラ男だ、近づかないほうがいい、とわかっていても、ドキドキして考え続けてしまうし、途端に人生の風景が明るくなったりする(ありがとうございます)。ひょっとして、こんなにドキドキするなんて、この人が運命の人なんじゃないか、結婚したら楽しいんじゃないか、なんて妄想も湧いてきたりする。
    ここで、よくよく考えてみたら、自分は「自分の伸ばしたい能力を自分より持っている人」に魅力を感じやすい。しかし、結婚という意味では、夫婦で能力のポートフォリオが分散している方がいいはずだ。つまり、自分が人を好きになるメカニズムは、「学び」には役立つけれど、「共同生活の相手選び」には役立たないのである。
    ここまで考えが進んでいる時点で、どうするか。ドキドキに耽溺するのか、それとも判断分岐点をイメージして、その時に判断基準にみたなければ好きでも断ち切るのか、ここでぶれずに選択するためには、やはり自分の判断メカニズムに対する誇り、自分はそのように判断できる人間だというセルフイメージが必要だ。
    ここで、セルフイメージは、自己存在への意識だけでは成立せず、他者との相対化、あるいは「自己を見る他者」への意識によって形成されるので、セルフイメージが低下しているときは、過去の成功体験の想起に加え、人との交流が有効だと思う。

考え抜いて、答えを出すこと

どういう問いの解き方が一番早いか?ということも考えながら、「何が答えを出せていない/とくべきイシューなのか」を常に言語化し、答えを出し続けていけば、迷いはなくなるはず。
また、自分の問題になると解けなくなったりするものなので、一度客観化して、友達として自分にアドバイスしてみたりするといい。

一旦箱の外に出たり、他の人の意見を得ることも有益だが、一度自分で上記プロセスをやってからにした方が断然学びは多い。

大人として、自分の人生に責任を持ちつつも、周囲に与えることができる人間であること

結局、自分は周囲の人たちに支えられて生きているし、支えてもらうことができなくなったとき、窮地に陥る。
だからプラクティカルに必要なことでもあるのだが、そうした打算ではなく、自分が与えられる時に、何かを与えることができるようになること。与えられるように努力すること。これができるかどうかが、人間としての余裕、成熟度なのかなと思うようになった。

やる気が行方不明になったときにやるべきこと

まずは外からスイッチを押しましょう

こういう時に内側からスイッチ押そうとしても難しいです。

なので、やる気出る系音楽を使って外からスイッチをおしましょう。あなたのやるべきことは、「音楽を探す」「再生ボタンを押す」の2つだけなので、大した意志力は必要ないはずです。(これができないのは流石にまずい)まずは、やる気が燃えてくる音楽を流しましょう。私の場合は「紅蓮の弓矢」になります。

Woman Wearing Black Bra and White Tank Top Raising Both Hands on Top

 

次にあなたを真の意味で動かす(drive)ものは何かを考えましょう

お金が欲しいのか、モテたいのか、地位が欲しいのか、大切な人と幸せに過ごしたいのか、社会に変化をもたらしたいのか?あなたがうん10年後死ぬ時をイメージして、後悔しないためには何をしたらいいのでしょうか。そのためには何をしたらいいのでしょうか。1ヶ月後どういう状態でありたいのでしょうか。そのためには1週間後、3日後、どういう状態でいたいのでしょうか。

これがまだクリアでない場合、これを考える作業はなかなか面倒で逃げたくなります。というか、逃げてきたからまだクリアでないのです。

それでは、見方を変えてみましょう。実は、やる気がわかない時、というのはこれに向き合う格好の、そして唯一のチャンスです。逆にこの機会を逃してしまうと、結局自分の意志を煮詰められないまま日々の些事に流され、この先何年も不本意な流れに身を任せてしまうかもしれません。
ここで流れを変えなさいという、自分の人生からのシグナルなのです。

手帳を開いて、具体的なアクションプランに落とし込みましょう

進むべき方向が見えてきたら、次はやるべきことを予定に落とし込んでいきましょう。

大事なのは具体的な「アクション/行動」に落とし込むことです。
失った時間の重みもしっかりと感じて、今後はその分も取り返す勢いで時間を有効活用していくことを自分に誓いましょう。