ゆりかの日記

心にうつりゆくよしなし事

"持論"を作るためには

最近、議論 (argument) の読み方が変わってきたと感じるので、アウトプット。

たまに歌舞伎町No1のホストの番組なんかを見てしまうタイプの人間だが、今のNo1の人(お名前は出さないが)は特にユニークだった。

私と同い年という若さにして、オラオラスタイルを確立して、ワンパターンではない比喩を多用して、彼の持論を展開していく。よく考えると言ってる内容は大したことないが、なんだか筋が通っているように聞こえる。声の出し方、自分が模範だと言わんばかりの異色の外見、偉そうな姿勢。「雰囲気」をうまく身につけた人だと感じた。

ストリートスマートネスが高い。
京都で、一見さんお断りでも利益を出しているビジネスから自分と顧客の関係性に応用できないか考える。自分個人のブランドロゴを作ってしまう。(昼の世界の人間から見ると若干痛いが、一本の酒に10倍もの値段を払わせることが可能なこの世界では、こうした印象形成も重要な戦略であろう)

 

さて、本題。スマホでなんでも検索できる今日、情報をかき集めて、それなりの意見をいうことは、誰にでもできる。そして問題は、そうしたネット上の言葉の背後にある思考の薄さに無自覚なまま、影響を受けていることが多いことである、と周囲を観察して思う。

リテラシーとして、「文章の書き手は誰で、何を書くことに利益があるのか」「どう言ったバックグラウンドを持っていて、どの分野に目が行きがちで、どのように評価しがちなのか」という神視点の捉え直し能力は必須であろう。

ただ、持論を作るためには、情報の受け取り方を改善するだけでは足りない。一度、情報を受動的に処理することをストップして、自分の脳の回路を主体的に動かさなければいけない。シャワーやトイレに入っている時や、日記なりブログなりを書いてる時は、強制的にインプットを遮断されるチャンスだ。こうした瞬間に、自分の情報に対する姿勢が、受動/能動のどちらに傾いているか、セルフチェックすることも大事だ。

こうした積み重ねをしていくと、だんだん「陳腐な議論」というのがわかってくるようになる。あー、なんか前誰かが言ってたの聞いたことある気がする、着陸点が早すぎる浅い切り口ね、というように。特にウェブ記事なんかは、あまり長くしないために綺麗事でまとめがちですから。または、パーキンソンの凡俗効果を活用して、誰でも理解できるような表面的な次元で議論をしたがる。

 

前半と後半が全く意味上接続してないことに気づかれた方は、すみません。
反省しています。