ゆりかの日記

心にうつりゆくよしなし事

「他者への反応」に振り回されずに生きる

メールアプリの右肩に、数字の書いてある赤い丸がついていると、触れずにはいられない、そんな人は多いのではないだろうか。もちろん私もそうだ。

そして私にとって似たような反応を呼び起こすものがもう一つある。それは「お誘い」だ。

食事や旅行に誘われて、行くといってしまったが行きたくない

-- これは、私がよく陥るジレンマの一つだ。いつも、旅行に誘ってもらえてうれしい、是非友人と旅行したい、と思って二つ返事で参加を決めても、あとで実際にかかる旅費やつぶれる時間の逸失コストを考えると、気が滅入り、行きたくなくなってしまう。

私はこれを自分の優柔不断さ故に生じているものだと思っていたが、実はもう一段深掘って、外からの刺激に反応して振り回されて生きていただけだからだと気づいた。

自分がやらなければならないことは何か、そのために何が必要なのか、というところから考えれば、時間をどう使うべきかという方針はおのずと決まる。そこが明確であれば、一度参加すると決めた後に、やっぱりやめておけばよかった、と考えることはないだろう。判断基準が明確で安定していて、そこに合致する誘いだけに応じているはずだからだ。

一方、自分の場合は、誘われた!嬉しい→是非参加しよう→あれ、他にやらなければいけないことあったじゃん時間とお金そこに使っていいんだっけ→やっぱり気が乗らない。。となっている。「ほかにやらなければならないこと」を誘われた段階で思い出せていない、トレードオフ関係を認識できていない、ところに、流されて生きている、私の姿が出てしまっている。

お金と時間を使いたくないのであれば、誘いに乗らなければよいのだが、どうしてそうしないのだろうか。私はどうしたらいいのだろうか。(続く)