ゆりかの日記

心にうつりゆくよしなし事

老害発生のメカニズムと考察

母にエクセルを教える父を見て気づいたこと。

老害発生のメカニズムの定説は、「社会的評価を受けると、そのほかの分野でも自分が優れているように感じて、大して知見がない分野にも口を出すようになる」ということだが、こうした傲りとは別にしても必然的に老害は発生すると思った。

それは、細かい知識は社会や環境の変化に伴って、多くのスキルは陳腐化するということ。特に、ソフトの扱い方などといった個別具体性の高いスキルは、あっというまに陳腐化する。プロジェクトマネジメント力みたいなソフトスキルはまだ今の所は陳腐化しないと思うが。

父親が自分は優れていると思っていたエクセルスキルも、実は時代遅れのものだったということ。(まあ、父の場合は最初から勘違いのような気もするが...)初代Excel(Lotusでもいいけど)の誕生時から触れているから、自分が一番詳しいはず、という気持ちになってしまうのだろうか。長々うんちくを垂れたり(ちなみに「垂れる」は誤用らしいが、聞き手としてはやはりこの表現が適していると感じる)、エクセルをガシガシ作ることでお金をもらって生きている私の発言を否定したりする割に作業が進まないのだが、本人は自分のスキルが時代遅れで、実社会ではかなり低位に属するということに気づかないのだろう。改ページを挿入するのに1時間かかってるぞ...うちの会社だったらすぐクビですぞ。

でも恐ろしいのは、これ自分にも当てはまるんじゃないかということ。そのうちAIが浸透して、Datarobot的なサービスやらがホワイトカラーの仕事をreplaceした上で、陳腐化しないスキルを身につけないと、使えない人間になってしまう。

だから、加齢に応じて、知見のレベルを陳腐化しにくい一般性のものに上げていき、自分の立ち位置を変化させていかなければならないし、スキルの陳腐化には敏感でなければならない。

てか、弁護士である父は、今も作業としては若手ソルジャーと同じことをやってて(訴訟関係資料作成)、一匹で業界の若手ソルジャー(徹夜する馬力)+年配パートナー(経験)のチームたちと戦わなければいけない状況になっているわけだけど、これでは勝てっこないよなぁ、、

耳たぶを引っ張ると一定の音が聞こえる

耳たぶ(正確には、「三角窩」↓)を引っ張ると「レファ」(引っ張り方によっては「レッファ」とか「レッファレファレファ〜」とか)という音が聞こえることを発見してしまった...

耳は繊細な器官ですので、
細菌に感染すればすぐに発症します。...

なお右耳のみ。左耳は聞こえない。なんでだろうこれ。ググってもレファ音に悩んでるエントリが見つからないけど、今後同じことを発見した同士に仲間はここにいるよと伝えたい。

 

#追記: なお翌日になったら聞こえなくなりました(2018/11/8)。

女癖の悪い男性の特徴

女癖の悪い先輩にアプローチされてみた(体験型学習)ので、学びを記録。
この人は、あいつはやばいという噂が立つほど(別の男の先輩から聞いた)で、社内結婚の末、1年前離婚。離婚理由は浮気だとの噂。

ちなみに自分はやばい男と付き合って時間を無駄にした経験があるので、女癖の悪い男に引っかかる予定はさらさらなし。

 

[意外性]

  • 見た目/話し方は意外と紳士だったりもする
    (初めて直接会った時は、紳士すぎて噂に聞くプレイヤーと同一人物とはおもえなかった)
  • 社会に対する正義感が強かったりもする (詳細割愛するが学生時代の活動より)

[やっぱり、ね]

  • 食事までの誘い方が異常に手馴れている
    (よく私の最寄駅情報覚えてましたね...)
  • 常に新しい活動に取り組んでいる
    (刺激が欲しいんですよね、、よくわかります)
  • 社内でヒアリングすると被害者/元ターゲットがいる
  • Facebookのウォールに昔書き込んできてたけど、今は友人でない女性がいる
    (研究熱心すぎてもはや自分がネトストな件については触れない)
    (ちなみに自分も交際相手(=やばい男)にFacebookブロックされてたのでよくわかる)

ちょっと身辺調査に時間かけすぎちゃったので研究結果をアウトプット。

アウトプットドリブンで生きること大事ね(違)

 

寂しさを分解する技

結論:"IQの高い人は、孤独を好む”(これがなぜか考えれば、孤独の見方が変わる)

www.ncbi.nlm.nih.govアブストしか読んでないが、時間あるときに本文読んでみよう。

私は社会人で一時的に大学院に入っているが、大学院の友人はみな留学してしまい、年の離れた留学生ばかりの研究室(パーテションで区切られている)で寂しく研究しているので、日々とても寂しい。家族以外に話す人がいるかいないかという感じ。

そもそも、元恋人が束縛の強い相手で、自殺未遂を繰り返す人間だったので、友達にも会いづらくなってしまい(ネガティブオーラを発したくなかった)友人づきあいが疎遠になってしまった。

漸く相手の状態が落ち着いてようやく別れられたのだが、そこからはやることが溜まっており、がむしゃらに生きていたのでやはり気軽に人と話せなくなった。

こうした問題意識のもと、たまにアポを取って人と話したりするが、すごく気を使うし、自分の弱みなんか吐けない。マッチングアプリ も始めたがそもそも心を開きたいと思える相手も少なくあんまり効果がない。家族と話しても、自分よりも目線の低い人と話す感じなので、癒されない。

ということで寂しくて仕方がない日々を送っている。私も妹に生まれたかったなー。

さっきこれを分解する技を見つけた気がした。このメタ的状況をかえるにはどうすればいいか?なんかイベント準備するでもいいし、先輩に頼りに行くでもいいし、と主体的に目線を変えることで、若干収まった気がする。あとは、これに耐えるのが大人力だと思うしかないかな。寂しいからといって目線の低い人に合わそうとするのは単に期待が満たされずより一層寂しいくなるだけでなく、自分のために良くない。いいことない。

このブログ書きながらやっぱり寂しくなってしまったけど。。まだ子供なんだな。

以上まとめると、「いかにして心の友を見つけ、作るか」はこれから積極的に取り組みたい内容かな。付き合う人をよく見極めよう。

本当にやりたいことがある人は、一人が好き

自分が寂しがりなのは、「本当にやりたいこと」が定まってないからということに気がついた。

本当にやりたいことが決まっていれば自ずと日々やるべきことができるし、自分の鍛錬のために時間を使いたくなる。そう考えると、人と会いに行く時間が惜しくなる。

自分が「社交性」と捉えている部分は、ある意味自分の芯のなさの裏返しであったということ、一人の時間が本来持つ価値を知れたことは大きな発見だった。

Sugar Withdrawal

砂糖依存症の人間が、砂糖を断たれて、甘いものを求めて歩き回る。
それが、まさに今の自分の状態であると自覚した。

元彼は私の1年を台無しにした、ひどい存在だと思うが、元気な時の彼はいつも私の話に耳を傾け、ゆりかちゃんゆりかちゃん〜といって優しくしてくれた。年上で仕事のできる元彼からのそうした対応は、何かあれば助けてもらえるという安心感と、自分は愛される存在であるという自信のもとにもなっていた。

同時に、自分の人生を自分で組み上げていかなければならない、という危機感が失われ、問題解決の方法として、親身になって話を聞いて自分のことのように考えてくれる、信頼できる他人を前提にするようになってしまった。

そのような存在である元彼と決別し、前に進んでいくことは、それ自体多大な意志力を必要とする状況だった。以前だったら、元彼に相談したいくらいのことだったが、当然頼ることはできない。
考えられる手は①元彼の代替を探す②自己解決能力を培う のどちらかだ。

自分はこれまで、①が唯一の方法だと考え、話せる友人を探したり、マッチングアプリ で出会いの場を広げ異性を探したりすることに時間を使ってきた。しかし、元彼の代わりになるような人はおらず、ただ落胆するばかりだった。

しかし、大人の女として本当にやるべきだったのは②だったと気づいた。そして、そもそも問題自体の問い直しとして、自分が何事かで成功したい(しかも、競争が激しくなるこの時代において)のであれば、もっと自分自身の戦略を考えなければいけない、そんなときに、いつまでもグダグダしている場合ではないという自覚がようやく戻ってきた。

今やっていることが、心底ワクワクすることではなく、暇な時間を作ってしまうからだろう。早く、自分がワクワクできるようなシナリオを書いて、そこに乗るしかないな。自分は女子校時代にあれだけ頑張れたんだから、異性をさがさなくても頑張れる。

 

昔の友人と話が合わない

昨日、中高時代の親友と、久しぶりに2人で話をした。きっかけは私の誕生日に連絡をくれたことで、その子が「変な男に引っかかってメンタルをやられている」というから、話聞くよ!という流れになった。

卒業後8年も経ってる相手と話が合わないことは薄々予想してたけど(複数人で旅行したことはあり、深い話をしないでよかったからうまくいったのだと思っていた)、「恋愛ネタ」という普遍テーマだから大丈夫だろうと思っていたら、やはりダメだった。

環境が共通していれば話す話題もあるのだろうが、共通の環境もなく、かといって価値観や人生の過ごし方も違うので、中高時代の話題しか、楽しく話せる話題がない。(しかもその話題も、なんども蒸し返しているものなので、面白くない)

いや、環境が共通していなくても、相手のパーソナリティとして、開放性が高ければ話を楽しめたのかもしれない。
かつての親友は、医学単科大学に進学し、そのコミュニティの中だけで生きてきており(Facebookってやる必要ある?とのことだった)、就活の必要もなく社会にも関心がない人だった。身の回りの人間関係の中だけで受け身で生きてきた感じで、高校卒業してきてからあまり変わってないな、と感じざるを得なかった。

一言でまとめると、人生に対する主体性の差・経験の差、により、私は「精神年齢合わないな」と感じたし、おそらく相手は「経験を自慢してマウンティングしてくる」と感じていたことだろう。

 

「変な男」への引っかかり方がやりモク男テンプレ展開(結婚をちらつかせる、ボディタッチしまくる→後日塩対応)であるにも関わらず、結局まだ好きらしいし、これまであまり恋愛経験がないから、ちょっと嬉しかったのだろうと思う。...大学1年生かな?

交通費払って、高い食費と時間コスト払って本当に無駄だったなと思った。だから最初地元で会おうって言ったのに。。

今後旧交を温めるときには、相手の職業・状況・性格の開放性を検討して、自分が楽しめそうでなければ、「また今度ね!」しよう。。